top of page
スクリーンショット 2020-01-25 11.47.56.png

​        思い

『笑顔広がれプロジェクト』は、防災を訴えるプロジェクトです。  

🌻あの日…

 2011年3月11日、東日本大震災で、私は5歳になる大切な一人娘を亡くしました。 突然の大地震、幼稚園と連絡を取ろうとしても連絡の手段も無く、幼稚園の防災計画がどうなっているのかすら解りませんでした。こんな大地震、きっと娘は最終避難場所の隣町の役場に幼稚園バスごと避難していると信じて、職場から壊れた道を途中で出会った役場の車の誘導でやっとのこと隣町の役場に向かいました。でも、そこには娘の姿も園児達の姿もありませんでした。幼稚園バスごと津波に飲まれて安否の確認すら出来ませんでした。

 

 🌻遺族説明会で…

 幼稚園側は、6m津波が来ると園バスのラジオで情報はつかんでいたものの、小さな子どもの命を預かっているというのに、線路を超えて津波はこないという思い込みだけで2Fに避難する事も無く子供達は幼稚園バスごと津波に巻き込まれ、娘達は亡くなってしまった事がわかりました。地震から津波到達まで1時間近く時間があったと言うのに…  

 

 🌻さて、問題は…

 事前に幼稚園の防災計画がどうなっているのか?気にもしないで私は大事な娘を幼稚園に預けていた事だったと思います。幼稚園の防災マニアルはどこかのデパートのコピーでした。『お客様誘導…?』みたいな内容のものでした。 もし、最初に、大きな地震があった時は、最終避難場所へ避難!子供達のお渡しは最終避難場所でと、先生方と保護者で決めていたら、子ども達は寒い思いも、恐い思いもする事なく全員無事だった。役場の防災無線が壊れたとしても先生方の判断だけて逃げられたはず。最終避難場所に迎えに行く訳なので、お迎えに来た途中で津波に巻き込まれて亡くなるなんて事も無い。最後には子供達も、先生達も、保護者の皆さんもみんな笑顔になれていたと思います。これは、現在、幼稚園の先生方も同じ気持ちです。  

 

 🌻こんな悲しい事を

   繰り返してはいけないと思うのです。

 もし、南海トラフの危険性がある地域の人達も、宮城県沖地震が近いと知ってはいても、準備もしなかったあの時の私達と一緒だとしたら、また子供達の命が危ないと思うし、みんなの笑顔も守れないと思うんです。とは言うものの、防災の意識って薄れてしまうものだと感じています。  

 

 🌻シンボルマークに

   防災への思いを込めました。

 太陽のようなイラストはビッグスマイルというミニ向日葵です。震災後、娘の笑顔のようだからと友人が種をたくさん送ってくれました。そしてその種を自分の庭と幼稚園に撒きました。幼稚園の子供達は、ビッグスマイルをお空のお友達(津波で亡くなった子ども達)と重ねて大事に育ててくれました。『離れていても、いつも一緒だよ。友達だよ。』って話しかけながら、向日葵に手をかざし、『?向日葵からパワーが出ている!?ボクは何でも出来る気がする♪』なんて言いながら。子供達のイラストは、そんな幼稚園の子供達の姿です。

 

 🌻シンボルマークを見たら、

   思い出して欲しいのです。

『小さな子どもの命を預かる幼稚園や保育所では、先生任せでも無く、保護者任せでも無く、お役所任せでも無く、みんなで場所場所の危険性を考え、それに応じた防災計画・避難計画を立てましょう。そして、まわりのコミュニティーと常日頃から仲良くつきあい、情報交換をしてみんなで情報を共有しましょう。大きな災害があっても、子供達はもちろん、みんなの笑顔を守れるように』

🌻これが、笑顔広がれプロジェクトの思いです。どうぞ二度と悲劇が繰り返されませんように。

シンボルマーク.jpg
bottom of page